オーストラリアの「SATC(セックス・アンド・ザ・シティ)」的生活をする独身者、幸せ感じず(ロイター)
まさにいまの時代を現している象徴的な調査結果だな、と。
日本人の(大人も子どもも)幸福度は国際社会の中でも低いことは皆さんご存知だと思いますが(例:長寿は世界一でも幸福度は90位)、そんな中でも依然として「人生の成功」を志向する人が圧倒的です。
勝ち組・負け組論議は一服しましたが(裏を返せば社会構造として定着してしまった証拠)、いまや「勝ち組になりたい」というより、「負け組には入りたくない」というスレスレのところでヒリヒリ生きている人が大半という、何とも不幸な状況とも思う。一億総中流社会ならぬ、一億総負け組にはなりたくない社会、ですかね。
人生の成功、勝ち組の人生。
イケダは若かりし頃、自己啓発オタクだったので、この「俺にとっての人生の成功っていったい何なんだ?よし、「人生の成功」を構成している要素を分解して、それぞれ考えてみよう」などといった恐ろしく暇で気が遠くなるほど暑苦しいことをかなりの時間とお金を割いてやっていたわけですが、「人生の成功」の要素なんて、社会性や精神性などよりも、やっぱり年収(経済力)や地位や名誉だったりするわけです(たぶん)。世に出ている「人生の成功本」からしても、たぶん多くの人はその呪縛の中で生きている。
その象徴(のひとつ)が、SATC(セックス・アンド・ザ・シティ)だと。
ニューヨークという、そもそも世界の中で最もエスタブリッシュメントされた場所で、ハイエンドな独身男女がものすごいおしゃれをしながら飲んだり食べたり踊ったり恋をしたり。そのライフスタイルは憧れの的(いぃなぁ、私も(僕も)一度でいいからこんな生活してみたいなぁ・・・と思いますよ、そりゃ)。
でも、そんな生活をリアルにしている人の調査結果(アメリカじゃなくオーストラリアですが)が、これなわけです。みんな、驚くほど幸せを感じていない。
戦後50年で、日本(先進国)はとっても豊かになったわけです。その結果が、いまの社会。みんなが悩み、迷っている。50年前、もっと言えば、戦時中の若者なんかより何万倍も人生の選択肢が多い中で、逆に選択肢が多すぎて選ぶことができず、悶々と、満たされない気持ちと共に、日々悩み、立ちすくんでいる。
私たちは、人類初めて「経済的(物的・金銭的)豊かさと精神的幸福が反比例する時代」を生きているのかもしれない(A社K社長談)。
であれば、「人生の成功」の向こう側に「幸せな人生」はない。
「人生の成功」は、多くの場合、相対評価によってその満足度が得られる。あいつはいくらもらっている、あそこの家と比べたらウチはまだましだ、など。常に他人と比べることで自分の相対的位置を確認して一喜一憂するから、いつまでたってもゴールはなく、常に不満足感や未充足感に中で生きることになる。
幸せになれない症候群。
(いわゆる一般的な意味合いとしての)「人生の成功」ではなく、「幸せな人生」を考える時期に来ているんじゃないかと思う(いや、これからは「心の時代」なんて1990年代からマーケティングじゃ言われてますが、依然としてそんな時代は来てないわけで)。
人から羨ましがられるために生きるんじゃなく、自分が心から「シアワセダナァ・・・」と思える価値観や自信。相対評価じゃなく、絶対評価。
考えてみれば、至極当然なわけですが、社会的動物である人間には、なかなかそれができない。
ちょっと話が変わりますが、イケダが好きな映画のひとつに「CONTACT」があります(当時の評価は賛否両論でしたが)。その中でジョディ・フォスターがSETI(地球外知的生命体探査)の研究に人生を捧げる科学者を演じてるんですが、そのあまりにも研究に没頭する彼女を周囲は奇人扱いするわけです。そんな折、元上司から、「もうやめたまえ、みんなも心配(バカに)している。君のためだよ」と咎められたとき、彼女が言った台詞が大好きなんです。
「So What?! IT'S MY LIFE!!」
かっこいい・・・。これですよ、これ。この覚悟というか、自信というか、達観というか、突き抜け感というか。要は、自分が何のために生きていて、何が「自分にとっての幸せな人生の要素」なのかを「認識している」ことが大切なんじゃないかと思うんです。
「人は、心が満たされてないから物に頼る」という話を聞いたことがあります。高級車に乗りたい、誰もがうらやむ家に住みたい、高級時計が欲しい、ブランドバッグが欲しいなどなど、言ってみれば自分の自信のなさや、心の未充足感を、物やブランドの威光で埋めようとしているのかもしれません。
でも、物はしょせん物。そこから心の(継続的・本質的)充足は得られません(きっと)。
だらだら書いてきたら、いつの間にか夏の夜にふさわしくない暑苦しい自己啓発系エントリになってきましたが、さらにもうひとつ昨日お会いした社長(前述のA社K社長)から聞いたお話。
子どもが、「流れ星に3回お願いごとしたら願いは叶うの?」と聞かれたら、何と応える?というもので(社長も何かの番組で見たそうです)、その回答が秀逸だったというもの。
回答は、「流れ星は、1秒もしないうちに消えてしまう。そんな短い時間に、願い事を3回も唱えるなんてできないかもしれない。でも、自分が叶えたい夢を、そんな一瞬に3回も言うことができるくらい、自分の願いが明確になっていることが大切なんだ(そういう生き方をしている人の願いが叶うんだよ)」ってな感じの話だったと思う。
これって、「幸せな人生」も同じなんじゃないかな、と。「自分にとっての幸せな人生」って何なんだろう。経済、物、お金、恋、愛、家族、子ども、家族、友人、社会、仕事、教養、知識、趣味、健康、心、精神、たくさんある。どれか、じゃない。ぜんぶだし、バランスともなんか違う気がする。捉え方というか、考え方、というか。
だから、たとえば仕事で考えたとき、やっぱりONとOFFを分けるってあり得ない考え方だと思うわけです(この前、マスメディアンで学生さんたちに話たけど)。人生の3分の1は仕事です(少なくとも物理的な時間として)。自分にとっての幸せが仕事じゃなく、OFF(休日や趣味)であれば、3分の1は幸せじゃない(不幸じゃないとしても)。そういう状況で、人生丸ごと「シアワセダー」って思えるのだろうか(一方で仕事しかない人生ってのもそれはそれで幸せじゃないと思いますけどね)。要は24時間、365日、ぜーんぶ丸ごと幸せな気持ちで過ごせるか。
まぁ、イケダが偏った人間なのかもしれませんけどね(笑)。というより、それこそ先ほど自分で言ったとおり、「幸せな人生」なんてものは他人が決めるもんじゃなく自分が決めるものなんだから、それこそ余計なお世話だな、こりゃ。
まぁ、井上和香が映画「SEX and the CITY」のトークイベントで、「とっても共感しました。結婚したくなっちゃった」というニュースが流れた翌日に、その逆を行くオーストラリアの調査結果を見たもんで、ちょっと考えを吐露してみた次第です、はい。
幸せな人生。
究極はやっぱ、ラオウですかね。「我が人生に一片の悔いなし!」、ドーン!みたいな(笑




























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